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一年の計は元旦にあり、と言われるが小正月の年中行事にあると思っている。
このすぐ近くで縄文土器「土笛」が発掘されている。事務所前からは子供の頃、雨あがり後、土器片をよく見つけた。
昭和56年頃、母屋をリフォームした際、地下1m50cm掘削地からは石の男根、須恵器(?)の底と思われる2つ並んで、まるで祭壇を思わせるものが発見された。
今、考えるとすぐ山手の赤城大明神、稲荷様、山ノ神様の3祠の原型かもしれない。
土笛 祭事のおかりな楽器説や狩猟時の薬液説もある。
『中際遺跡』(三島町文化財報告第6集 埋蔵文化財調査報告Ⅲ)
赤城明神は中際の二瓶家の護り神との言い伝えがあるが来歴は不明と聞いて、三島町文化財専門委員の角田伊一氏にご教示をお願いした。
早速、角田氏は丁寧に『大谷旧亊(くじ)雑記』(三島町史料集成第一巻)を元に解読、解説してくれた。雑記は享和三癸亥歳七月なので西暦では1803年、9代将軍・徳川家重の頃で214年前に遡ることになる。
「伏して按するに大谷村の氏は二瓶五十嵐菅家諏訪小林也 小兵衛三浦氏を名乗りしは儼如何之訳と村老に尋に野沢地頭大槻太郎左衛門と云人の小姓にして大槻亡し時当村へ江下来にて官龍(古代の官職)と言依て三浦を名乗りしとかや」
思わぬところでご先祖様のルーツは、西会津町野沢にあることが分かった。
塩ノ道とあるが赤穂の塩が新潟港から阿賀川を経て塩川で馬に積替えられ西方へ。
名入から只見川を越え川井、大登をから大谷へ、そして石神峠を経て永井野、美女峠を越えて野尻へと運ばれたといわれる。
大谷には八十里越え・只見経由でやってきた別なグループもいたのだろうか。