美田を伝える・お米歳時記

序論

「子孫に美田を残さず」の格言は子や孫の自立心を損なう事への警鐘。「たわけ!」と叱責される語源は、田を分けて小規模化し経営が成り立たなくなる危うい選択肢。
しかし、少子高齢化=過疎化が進む農村は遊休農地化、荒廃化している。田で成り立たない農業法人の撤退は村で一番大きな田や村のど真ん中にある田が放置されてきた。田も畑も人間と同じで姿・形も性格も違う。
改めて、田んぼが果たしている村の歳時記の中で自然を相手に年中行事を生み出した祖先の営みを手掛かりにマネジメントできる術を生み出すしかないと思う。

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1.一年の計は元旦にあり

一年の計は元旦にあり、と言われるが小正月の年中行事にあると思っている。

H28.12/8初雪が降った朝、事務所近くの田んぼ。雪はミネラルを含み地表へのUV効果がある。

このすぐ近くで縄文土器「土笛」が発掘されている。事務所前からは子供の頃、雨あがり後、土器片をよく見つけた。
昭和56年頃、母屋をリフォームした際、地下1m50cm掘削地からは石の男根、須恵器(?)の底と思われる2つ並んで、まるで祭壇を思わせるものが発見された。
今、考えるとすぐ山手の赤木大明神、稲荷様、山ノ神様の3祠の原型かもしれない。

注口土器

土笛 祭事のおかりな楽器説や狩猟時の薬液説もある。
『中際遺跡』(三島町文化財報告第6集 埋蔵文化財調査報告Ⅲ)

H29.7/21 「赤木大明神」遷座式(改築祝い)

赤木明神は中際の二瓶家の護り神との言い伝えがあるが来歴は不明と聞いて、三島町文化財専門委員の角田伊一氏にご教示をお願いした。
早速、角田氏は丁寧に『大谷旧亊(くじ)雑記』(三島町史料集成第一巻)を元に解読、解説してくれた。雑記は享和三癸亥歳七月なので西暦では1803年、9代将軍・徳川家重の頃で214年前に遡ることになる。
「伏して按するに大谷村の氏は二瓶五十嵐菅家諏訪小林也 小兵衛三浦氏を名乗りしは儼如何之訳と村老に尋に野沢地頭大槻太郎左衛門と云人の小姓にして大槻亡し時当村へ江下来にて官龍(古代の官職)と言依て三浦を名乗りしとかや」
 思わぬところでご先祖様のルーツは、西会津町野沢にあることが分かった。

H29.7/26 野沢: 大槻氏の居城跡

塩ノ道とあるが赤穂の塩が新潟港から阿賀川を経て塩川で馬に積替えられ西方へ。
名入から只見川を越え川井、大登をから大谷へ、そして石神峠を経て永井野、美女峠を越えて野尻へと運ばれたといわれる。

H23.2/20 全国の五十嵐姓が集まるという新潟県三条市下田にある伊加良志神社。

大谷には八十里越え・只見経由でやってきた別なグループもいたのだろうか。

2.田んぼの歳時記・冬

H26.1/15 ご神木を伐るために杉の木に「ケンダイ」を捧げる

H29.1/15 ご神木の杉に藁を捲く

H27.1/15 平成29年は豆殻がなく藁のみだったが交互に捲くのが中際流、閏年は13段

H29.1/15 歳の神

H24.1/13 歳の神の御幣(神様が降りてくる依代、目印) 
神棚には大正月・歳取りの儀式を迎えるために注連縄が張られている。

1/14か1/15朝、歳の神の前に行う団子さし。

米や蕎麦で鶴や亀など思い思いに作り、大黒様、小判などふなせんべい(?、別名で呼んでいた気がする)で飾る。ミズノ木を稲穂に見立て未登熟米にならないよう枝先に残さず刺す前祝、予祝行事。神棚、仏壇、大黒柱、台所に飾った(写真はH24年・週末アートスクール開催時に再現したもの)

H29.1/15 御幣に火がいち早く着くと豊作。
山の神が田の神となって里に降りてくる。燃やすことは神送り。

3.田んぼの歳時記・春、田起こしから田植、中耕除草まで

29.4/16 ビオトープ田周辺の排水溝。

おそらく30年間近く泥上げをしていないため埋まりアヤメ等が根付き繁茂し蚊が飛び交っている、施工前。

H29.5/6 中山間事業の助成制度活用し組合員の共同作業。

ドジョウが何匹も出てきた。側溝上辺より50cmも土砂、泥が堆積していた。

H29.5/6 施工後、水の流れが良くなり、ビオトープ田もやっと排水が出来る思い。

トラクター、コンバインははおろか、耕運機、バインダー等機械が入らない状況だった。改善され田の神様に恥ずかしくない田づくりを誓う。

H29.5/20 2回目の代かき

水持ちが悪いため今年から2回うない。見かねた従兄弟が大型トラクターで協力してくれ二重奏。

H29.5/21 今年からカモの夫婦が来るようになった。

ゴイサギも飛来するが敏感でなかなか写真を撮らせてくれない

H29.5/24 苗床 昨年から初めてひとめぼれ+コシヒカリの2本立てとした。

苗は30年来、元有機農業友の会長・小松さんから持ってきている。晩稲のコシより中出のヒトメの方がここにはあっていると思う。昨年はコシ一辺倒から苗の都合でひとめも導入したが、2Lを出荷した以外のL以下である小米がぐんと減ったことからも伺われる。

H29.5/24 村で一番大きい田(田植)

H29.5/25 補植作業

この田は村のど真ん中の一等地。10年近く荒らしていたため葦や雑草が繁茂し、ビオトープのようだった。深くて水が切れず耕運機やバインダーがぬかるほどで、昨年は手刈りだった。ここまで車で4年間の苦闘があった。しかし、タニシ、ドジョウが棲んでいるため除草剤は播きたくない。しかし、その代償は大きなものがある。

H29.5/27 補植作業

村出身者で大阪在住の親類が「大谷の米が食べたい」、「孫に田植を経験させたい」と張り切ったが、孫は見事に尻餅。我がNPOは男での田植、「やっぱり、おなごの田植は絵になる」と褒めたら、すぐ下の田から「悪かったな、男ばっかで」と声がかかった。
昭和村や只見町には『早乙女踊り』という実際に見たことはないが、小正月に男が女装して田植を真似る(予祝、前祝い)年中行事が残っている。

H24.7/16 除草剤を使わない時代、毎年のようにコナギが畝間・株間を覆いつくす。

放っておくと稲が黄ばみ成長できなくなる。その結果こんな作業が必要になる。

H24.7/16 這いつくばっての手取り作業 藪蚊と闘い、穂先が目や顔に刺さる

H24.7/16 手取り除草後の稲たち、元気を取り戻したかのよう。

H24.7/16 除草剤代わりに米糠を散布 手取り作業後、米糠を撒き雑草に太陽光を遮り発育を妨げる

4.原点は自給自足

「田分け」同様、故・佐藤長雄(元町長)から職員時代に教えられたのが「わがまま」。「百姓は吾が・
まんまが喰えるから、わがままを通せる」、やはり自立精神へのこだわりだろうか。
昭和57年・三島フォーラム開催の担当を命ぜられ、これがきっかけで今はない「有機農業友の会」が発足し、世話役として事務局を仰せつかる。(『奥会津山村の選択―三島町民による「ふるさと運動」20年の検証』安達生恒編、ぎょうせい、平成4年)
当時は有機質肥料だけで除草剤も使わない完全無農薬栽培だった。

5.人間も自然の一部、体内も小さな宇宙、田んぼを取り巻く自然

何故、無農薬なのか。田んぼに隣接するお家に小さな子供がいたから、自分の子供にも不自然でない食べ物で育てたかったから。しかし別の仕事をしながら年に3~4回、手取りを繰りかえさなければならないことを考えると1反歩が限界と思う。でも田んぼで花見が出来るとは思わなかった。

H29.6/21 こんな機械、見たことあるだろうか、田植から1ヶ月後のコロバシ作業。

今は乗用もモーター付きもあるが、手作業が確実。1反歩の自給時代は昭和57年設立した有機農業友の会(今は無し)の流れから完全無農薬、除草剤無しでコロバシの後、這いつくばって3~4回手取り除草をしていた頃は米がお陽さまの香りを感じていた。さすがに面積が増えたので除草剤1回だけ振っている。
でも、昨年4年かけて起こしたビオトープ田は除草剤を振れなかったためクサネム等が大発生し、手で抜いた本数は軽トラ3台になった。
一人でやっていると情けなくなってくるが今年は応援を得て、バシャッ、バシヤッと小気味良い4重奏。本当はカンカン照りが良いのだが雨と汗で下着までぐっちょり。今年は全面積1町歩をかけたことになる。
コロバシは①雑草を漉き込む、②有機質等のガス抜き(硫化水素、メタンガス)、③根切りで新根を促進、④根に酸素供給や温かい水を送り込み発根促進、肥料の吸収促進効果があるといわれる。また、田んぼ全体を歩くことで苗の生長や健康状態を確認できる。
確かにかける前と後では苗が立派で堂々と見えるから不思議だ。

H29.5/29 アオガエルの巣 メスが白いネバネバした泡を口から吐き産卵する。土手の水辺近くにたくさんある。

H27.6/16 初夏にはアブノメの花だろうか

H29.7/25 村のど真ん中の田だがタニシがわかるだろうか?

H29.9/1 ビオートープ田を今年は排水溝・余計掘りしたが乾湿がまばらで排水が悪いところにタニシが棲息。

ネット(雑魚の水辺)で検索してみたら、タニシにもヒメ、マル、オオタニシと3種類いることがわかった。

この田はマルタニシで水質汚染に弱いが他よりも美味しく古老はかつて貴重なタンパク源として食べていたと言う。他の田にも棲息。

春の田起こしをしているとドジョウが浮くがすぐに土に潜り写真を撮る暇はない。

水がなくても生きている生命力には驚かされる。同様にネット検索してみたらドジョウの種類も他に8種類出てきた。昭和60年頃、圃場整備後、区画が大きくなった田に皆が除草剤を使ったため、多くの田でたくさんのドジョウが浮いた光景が忘れられない。ドジョウ取りは子供の仕事で実際に食べていた。
これらの田の水利、大谷川についても触れておきたい。

H26.8/5 巡検使料理を再現するために息子が採取してきた「かじか」。

この他も岩魚、山女がいると思いH29.8/6、先輩とカジカ突きに川に降りたら1匹を確認したのみで、メジロ、アブに襲われ早々に退散。台風やソバ撒きなどの日程調整と場所、時間の詰めが甘かった。

H29.9/1 コナギは秋にこんな可憐な紫色の花が咲く

H29.9/1 オモダカも秋に白い可愛い花が咲く。

他にもタウコギ、イボクサ、ヒエ等々あるが省略し手ごわいものを掲載する。

H28.9/16 昨年だがうっすらとだが、緑の草が点在しているのが見えるだろうか。

ドジョウを思い、除草剤を扱うお店で聞いてみたら「ドジョウに聞いてみないとわからないと言われ」撒けなかった。そうクサネムが繁茂した。

H28/9/17 除草剤を使わなかった結果、クサネムを軽トラ3台分抜き取り圃場外へ捨てた。

H29.9/1 クサネムのさやの中の実をこぼすと再生する

H28/10/16 それで籾にクサネムも実が混入してくる

H28/12/11 精米してもクサネムは抜けない。

出荷米は玄米に調整する段階で色度センサーを使い、抜いてもらわないと1等米にはならない。

H26.7/25 村で一番大きな田はソバや菜種などに転作された後数年間放置されていたものを起こした。

全くの無肥料で作付けしたのだが分結も良くいい出来だと褒められていたが、いもち病が発生。「全滅するぞ!!」と注意され止む無く粉剤にて消毒を1回行った苦い経験。
今年も、NPO会員が二人、遊休農地化した田を起こし田植したが、悲しいことに予想通り同じようにいもち病が発生した。

H28.10/14 昨年のビオトープ田 全体の排水溝が泥に埋まり田面より高くなっているため乾かない。よって手刈り。
倒れた稲の上でタニシが昼寝していた。

H28.10/17 NPO会員で昨年から協働で所有するコンバインによる稲刈り作業。

H25.10/9 天日干しのサデ(ハザ)掛けはH27を最後に大谷集落からは見られなくなった。

H27.1/13 「森 光 水」展覧会は1/24まで春から秋まで汗を流した田んぼの上で
雪とともにその結晶のように開催され、村で唯一人の小学生が「カッコいい」と叫んだ。

H27.1/13 水車をイメージしての作品群等々は筑波大学CRプロジェクト、NPO会津みしま自然エネルギー研究会、
NPOわくわく奥会津、大谷地区、三島町教育委員会他、多くの方々のご協力で達成された。

どうか本年の稲刈りが豊穣となるよう、またそれを基盤とした消費者との分かち合いを始め農の六次化、アートへの活用に結実されることを願わずにはいられない。

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